志友会メンバー三者対談 Vol.1 志友会 結成秘話

なぜ、志友会を結成したのか、
経営者が結集してどう未来を切り開くのか?
それぞれのフィールドで活躍する3人が、
使命と未来像を熱く語り合った。

経営者たちが多く集う恵比寿のBar
「THE PLATFORM」。
志友会のはじまりとなるそのBarは、
どのような想いでオープンしたのか-

中 島

最初は、大阪で経営者たちが集まるBarや経営者団体みたいなのを作りたくて友人のBarを借り切ってやろうとしたんだよ。その時のコンセプトは“凄いやつの数珠つなぎ”。 当時大阪のTV番組で“美人数珠つなぎ”というものがあって、美人な子の友人には必ず美人がいる。それで美人どんどんつないでいくと、美人の数珠になるというコーナーがあって、これは面白いと思って毎週見てたんだよね。 これで“凄いやつの数珠つなぎ”ができるんじゃないかなと……。

友達2人でやろうって言って3回位まではやったんだけど、なんか俺らが友達少ないのか、みんな東京に行ったせいなのか、原因はよくわからなかったけど、上手く繋がっていかなかった。 で、志半ばでやめて、東京来た時にもう一度やろうっていうふうに思ったのがきっかけ。“凄い人”から“素敵な人”に変えてね。人を繋ぐってのが、大好きだったんだよね。なんか、世界が広がっていくというか、みんながハッピーになっていくというか。

金 子

PLATFORMを創った時には、もうそういうのやるつもりでいたんだ?

中 島

人を繋ぐ場を作りたいと思ってたよ。もちろん、自分が落ち着く場所が欲しかったってのも強いけどね。

金 子

そうなんだ、そっからはじまってるんだね。

THE PLATFORM
志友会 創業者(ファウンダー)である中島 晋哉が「ビジネスパーソンによる、ビジネスパーソンのための、ビジネスパーソンの憩いの場」として恵比寿の一角にBarを開設。
http://www.eplga.co.jp/platform/

中 島

だから、「THE PLATFORM」っていう名前。コンセプトは、素敵な人の周りには必ず素敵な人がいる、素敵な人が繋がると素敵な輪ができる、素敵な輪ができると素敵な事が起こせる。そんな世界が創れたら楽しいなと思ってね。だから、紹介制の店にした。
それに、ビジネスパーソンって、仕事する上でネットワークが必要でしょう、それが一つの店に集まることによって出来たら最高だよね。

金 子

それでPLATFORMをつくろうと思ったわけだ。

中 島

いきなり経済団体つくるとかさ、なんかいいことしようよってなんか気持ち悪い。だからまずはつながる場所をつくりたいっていうのがPLATFORMの根源なんだよね。
実際に、志友会が生まれたり、ビジネスが生まれたり、PLATFORMで繋がった人が結婚したり、大震災のサポートしたり、次々に素敵なことが起こってる。それは繋がるためには場所がいるよねと、それってPLATFORMだよねっていう発想。

金 子

繋がるって役目なんだね、PLATFORMは。

早 川

確かに繋がりましたね。

経営者が集まって志友会を結成したときから、
理念はあった。

金 子

志友会を創った原点ってその凄い奴らが繋がっているのが原点なのか、それとも、日本っていうのが原点なのかどっちなの?

中 島

大きな大志のためにPLATFORMを創ったわけではないのだけれど、この国に対する漠然とした不安感と不信感、焦燥感みたいなもの、変えなきゃいけないという使命感があったよ。
それは、海外から我が国を見る時間が長かったからだと思う。自国を想う心が強くなったというのが正直なところ。この国の未来、未来の子供達、この国が世界に貢献していく、そんな世界が必要だと本気で考えてた、今でもね。それを志と呼ぶのだと思う。

早 川

PLATFORMができて、志友会結成まで何年あるんでしたっけ?

中 島

2007年7月にPLATFORMが出来て、志友会結成が2010年10月なんで、3年くらい。

金 子

3年位飲んだり食ったり、遊んだり……

中 島

その頃はダメな経営者、「ダメンズ」と名付けてた。今でも、その時の名簿が残ってるよ。ただ、その時は任意の団体で遊び仲間だった。
これじゃ、ダメだと法人格を取得し、しっかりとした組織にして活動していきたいと思ったんだよね。

早 川

その頃、志友会結成して何かやりましたっけ?

KOKORO ONE PROJECT
みんなで力を合わせて、東日本大震災の被災地へ救援物資を届けたい。家や会社にあるものなど…みんなで救援物資を持ち寄り、一刻も早くその到着を待ち望んでいる被災地の方々へ届ける活動。4月2日に青山国連大学前ファーマーズマーケット内にて実施。約600名の皆様により、4tトラック3台分にものぼる物資をご提供いただくと同時に「KOKORO ONE Flag」へたくさんの応援メッセージもいただきました。

中 島

2010年10月に志友会を結成して集まるんだけど、何やんだよって時に震災が起きたの。

金 子

そうそう

中 島

で、俺忘れもしないのが、発災の2日後に10数人の志友会メンバーに急遽集まってもらい、震災の現状のプレゼンを作ってみんなに見てもらった。「もう一度復興しましょう」というタイトルで。
みんな、泣いてた。それで「復興支援やろう!」ってなってね。

金 子

そうだったね~

中 島

みんな泣いて、で、「今こそ俺たち立ち上がんなくちゃいけないんじゃないの?」「そうだー!」ってなって、震災復興支援が始まったんだよね。

金 子

俺毎回思うんだけど、みんなそれぞれベースに志みたいなの持ってるわけよ。社会にも貢献したいし、日本にも貢献したいって思うんだけど、じゃアクションは何をとるかっていうとやっぱりみんな迷うわけだし解らないわけじゃん。
それで、しんちゃん(中 島)が掲げているコンセプトが、スタートした時は意外に行動に移しずらかった。具体的なアクションって何を起こすのかっていうのは確かに震災から始まったというのはあると思う。

中 島

グループディスカッションやったね。で、なんか提案しようみたいになって……

金 子

そうそう。それが社会貢献っていうのか、ボランティアなのかっていうのが中々答えが見つからなかった。

中 島

僕がずっと言い続けてたのは僕らみたいな零細中小企業の経営者は基本自分の事業会社の成長と事業会社の収益を守ることがファーストプライオリティなんで、世の中のためになるっていうのがどうも出来ていないよね。ていうのが最初にあった。で、そろそろメンバーの会社も儲かりだして、ちょっと世の中のためになるってことやらなきゃねって。

最初は4人くらいの主要メンバーに、僕がやりたいことを相談し、法人格をとって本格的にやろうってお願いした。僕らがやれることは、今はちっちゃいけど10年20年後には大きな影響力を持ってたいと伝え、賛同してもらった。それがスタート。

理念は、他の経済団体を日夜勉強し、自分なりの文脈で理念やビジョン、行動指針を作ったよ。自分の会社にもないのに、志友会のは死ぬ気で作ったよ。自分のことはできないのに、人の事はできる・・・コンサル気質なんだと思う。

創業メンバーの志友会に対する思いは、
どのようなものかー

金 子

最初さ、志友会に誘われてその入る時ってどう思った?

早 川

僕なんか兄やん(中島)に言われて、僕ら世代ってどっちかっていうと先輩方についていくみたいな感じだったし、社会貢献とか日本のためにとかじゃあんまり意識なくて。けど、リーダーになる人たちについていったら面白そうやなってところから入っていったんですよ。
志友会に入って、この震災のところがやっぱりインパクトがあって、世の中のためにボランティアで何かするってこと一回もやったことなかったんで、この人たちと一緒にいるとこういう事も出来るんだって、入って良かったなってその時、実感しましたね。

後は、みなさん経営者ですけど僕は士業なのであんまり経営者って意識が薄かったんで、その組織をどうマネージメントしていくとかそういうのがあんまりわからない中、志友会っていう会の集まりがそうなんだろうなと思いました。
僕にとってこう生活の一部というか拠り所の中に入ってるっていうか、メンバーに入っているっていうのが心地良かったというのはあります。
その会でなにかやるってことはそれほど積極的じゃなかったんですよね。先輩がやることについていこうという感じでしたね。

中 島

アケ(早川)が言ったことで覚えているのが二つあって、一つはこのポジションが一番良い。リーダーシップも取らないしなんもしないけど、ここにいることが心地良いって言ったのが一個と、もう一つはアケに言われてハッとしたんだけど、兄やん、メリットを求めて近づいてくる人は入会させないというけど、多くの人はメリット無いと入会しないよ、と言われたこと。

早 川

いろんな出会いがあるし、楽しかったんですよね。

金 子

それはメリットなんだよね。

中 島

そう、お金じゃないメリットがある。で、当時ファミリーイベントとか色々やってたよね。あと、クリスマスパーティーもやったよね。

早 川

やりましたねー。

中 島

楽しいっていうのは理念の中にもともと入ってる。

金 子

入ってるから、まあそのメリハリがある感じはあったよね。それは震災が起きたような事があったからってあるんだけど、そこでなんとなく本当のスタートを切ったという感じがする。今そういう所が少し不足している気もするね。

中 島

前はそういう感じちょっとあったよね

金 子

集まる時飲んで騒ぐけど、やるときは集まってやるっていう、見る人が見るとストイックだけど本人たちは意外と楽しみながらやってるっていうような。そこは志友会の良さだなーって思う。

2010年に結成した志友会。
8年目の現在、どのようなことをするべきかー

金 子

しかし、今こうやって改めてみるとやっぱりきちんとしたプロセスになってるね。要は自分のしっかりした想いがあって、まず人を繋ごうっていうことでこの場を作って、その繋いだ人たちが、楽しみを繋げていって、その次の段階をみんなで目指して形としてダメンズから志友会になってるっていうのは、なかなか意外と出来ない。大体どこかでつぶれちゃう。
最初の結成した時の厳しさみたいなものっていうのはやっぱりよかったんだろうね。あれが多分初代例えば俺みたいなのがやってると多分空中分解になってるよ。

中 島

いやそんなことない。

金 子

いやいや絶対そうだと思う。やっぱ最初の頃ってさ、人の思いの強さみたいなものが人を惹きつけるからやっぱりすごい大事なんだよね。

早 川

その会としてアウトプット何かしていくほうって結構難しいじゃないですか。で、そこは時間もかかりながらまた良いアウトプットが出てくると思うんですけど。
むしろ僕は学びたいというか、その会のメンバーでもっと学べることって結構あると思うし、会のメンバーであるとこれが学べるよっていうコンテンツ今増やそうとしてくれてるじゃないですか。
あれはすごいいいなと思っていて、それが楽しくなってそこをぐるぐる回り始めるとまたアウトプットの事業がまた生まれてくると思います。
会のメンバーがすごく楽しめる学べる場をどんどん作る。アウトプットだと、TCBCもそうだし、福島起業塾っていうのもあったし、その流れ流れでまた出来てくるって気はするので。

今、経営塾っていうのを進めようとはしてますけど、いろんなメンバーがさらに入ってきたら、こんな試みあるんじゃないってのがまた出てくると思う。会の活性化っていうのはメンバーにとって学べる場をもっともっと提供するってことかなって気がします。

金 子

志友会作った時って、目指すものに向かっていくアクションはファウンダーとしてどういったイメージしてたの?

中 島

僕はまさに理念に書いてる通りなんだけど、やっぱり経営者同士助けあうっていうのは必要、経営者同士が繋がる事によって力が発揮できるんじゃないかって思う。
今アケが言ったようにお互いが学びあう、成長しあうっていうのはもちろん重要。だけど学びだけでアウトプットしないなら、単なる勉強会だし、だったら会費もいらない。極端な話、集まって勉強すればいいと思う。 でもアウトプットするところに重要度があると。経営者を輩出するとか、若手経営者を育てるっていうアウトプットを志友会でしようじゃないかと思う。

金 子

だから俺もどっちかっていうとそこが足りないと思っていて、いわゆる志とか理念みたいなものを語っていくと自然とアウトプットとかアクションの方向性が出てくると思うのよ。だから理念の議論が足りてないから何やる何やるってところに落ちてっちゃうような気がしてるわけ。
合宿でワーディングした志友会の理念って、「自ら学び助け合い育てる、結果ひいては日本経済に貢献する」だよね。
志友会として何をやるかっていうの、がその言葉だよね。